きのせみかの大和撫子な生活

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「他者があっての自己」という日本古来の思想

 一番の問題は、他者への思いが抜けていること。今の日本は他者のことを考えない、自分の意志だけで生きていこうとする社会になってしまっている。立教大大学院教授・哲学者である内山節さんはそう言います。

 私も昔は「お百姓さんのおかげでご飯が食べられる」と教わりました。今そのようなことを教わる機会はほとんどありません。自然に感謝しながら生きたように、日本の農業を支え続けてくれた農民に感謝も感謝する。
 自然や相手が主で、自分が従である。昔の日本では至極当たり前であったことを現代人は再考するべきだと思います。



バンビの独り言
「感謝の心欠く農業政策」(内山節さん)2015.3.1中日新聞より引用します。

------------------------以下引用------------------------

 寒さのなかにも、春の日差しを感じるようになってきた。春は確実に近づいてきているのだろう。春が訪れると、かつて人々は「春が還って来た」と表現した。1年前に私たちの前から去っていった春が、再び還って来たのである。
 4月に入ると、私の暮らす群馬県上野村では集落ごとに春祭りが始まる。それは還って来た春への感謝の祭りであり、今年の豊作を自然にお願いする祭りでもある。

 春は人間の力ではつくりだしえないものだ。大いなる自然も人間にはつくれない。人はただ感謝し、自然の無事を願うことしかできない。春や自然が「主」であり、人間は知恵を使って従う。人間が万物の中心ではない。
 だから自然という他者にすがり、その無事を願い、支えられて生きるしかない。環境問題とは人間がこの原点を再確認する営みでもある。

 そして自然という他者に大いなる力を感じていた間は、人間たちは自然の声を聴き、その動きを読み取ろうとしたのと同じように、さまざまな他者の声に耳を傾け、他者を知ろうと努力しながら自分は何をしたらいいか良いのかと考えてきた。他者があっての自己だったのである。

 この関係を失ったとき、人間は傲慢になった。自分の主張を押し通そうとするばかりの動物に、成り下がったのである。そして、残念なことに、それが現代世界でもある。
 そして、そういう時代だからこそ、自然が「主」であり、自然という他者の声を読み取りながら生きようとした日本の伝統的な生命観に関心を持つ人々が、国境を越えてふえてきている。それが現代の一面でもある。

 そういえば、現代の日本の総理大臣が、自然について語るのを聞いた記憶がない。たとえば今の政権が語る農業とは、農業の生産力や競争力のことだけで、農業が自然と人間の共同作業であるという視点は持ち合わせていないようだ。農業、農村を守ることが、自然を守ることと繋がっているという発想は、この政権にはないらしい。

 自然と人間の世界に放射能がどんな影響を与えていくのかということに思いを寄せることもなく、オリンピックを招致するために、原発事故による放射性物質は完全に管理されていると言い切ることに、ためらいがないのが今の総理大臣である。

 一番の問題は、他者への思いが抜けていることである。かつて私たちは、「お百姓さんのおかげでご飯が食べられる」と教わった。自然に感謝しながら生きたように、日本の農業を支え続けてくれた農民に感謝しながら食卓を囲んだ。そういう思いを欠いた自己主張だけの農業政策は、殺伐とした社会をつくり出すだけだ。

 今の日本は他者のことを考えない、自分の意志だけで生きていこうとする社会になってしまっている。いわば、自分のやりたいことをやるというだけの社会だ。
 だから劣化した社会を感じさせるような事件も起きるし、雇用の面では格差社会を平然と放置している。自分のやりたいことをやるというだけの雰囲気が政治から社会までを覆い、それが強さだというような社会ができてしまったのである。

 そういう時代の奥底に、自然という他者の声を読み取ろうとしなくなった時代があるとするなら、私たちは今こそ大いなる自然と人間の関係を語らなければならないはずである。


------------------------引用終了------------------------

「感謝の心欠く農業政策」(内山節さん)中日新聞:(るいネット)より
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=312515

-----------------------------------------

 日本語の「自然」という言葉は明治時代になって新しく作られた造語ですが、その由来は「自ずと然り」で、「ひとりでにそうである」「あるがまま」という概念を持っています。
 それに対して英語の「nature」(ネイチャー)は、「人間・精神・人工などと対立したもの」という意味で、さらに『創世記』の中で、人類を創造した神が「これ(人間)に海の魚と、空の鳥と、家畜と他のすべての獣と、地のすべての這うものを治めさせる」ように決定したという伝承によって、「人間が支配し征服するもの」という概念が含まれています。

 明治以降、西洋のあらゆる文物が大量に流入し、戦後さらに日本の西洋化が加速して、特に都市部ではそれが優れた文明のように考えられているように見えますが、上記にもあるように、かつての日本人にとっては普通だった神道的な思想を再考するべき時が訪れているように思います。
(ちなみに私が住んでいる地域は豊かな自然に囲まれ、農業や漁業に従事されている方も多く、「他人に喜んでもらうことが自分にとっての幸せ」と感じられている方も多いようです。)



<関連>
生類を支配・利用する欧米人と、仲間として共に生きる日本人
http://kinosemika.blog134.fc2.com/blog-entry-2992.html

日本人が知らないキリスト教の教義
http://kinosemika.blog134.fc2.com/blog-entry-1672.html

「人は地上に降りた小さな一柱の神」という神道の思想
http://kinosemika.blog134.fc2.com/blog-entry-2128.html

海外から見直される神道の自然観
http://kinosemika.blog134.fc2.com/blog-entry-2544.html

<参考>
なぜ今、ハーバードで「日本」が注目されるのか?(るいネット)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=312637



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Author:紀瀬美香
古学(国学)・古神道研究家。
日本古学アカデミー代表。

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