きのせみかの大和撫子な生活

清楚で慎ましく、凛とした女性を目指して・・・ 今日を大切に活きたい。

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山岡鉄舟大人の生き様

 明治21年7月19日、山岡鉄舟が没しました。勝海舟、高橋泥舟と並ぶ「幕末の三舟」として知られ、明治後、一刀正伝無刀流を開いた剣豪としても知られます。そして彼の名を幕末史に留めたのは、江戸無血開城の直前、勝海舟の代理として静岡に赴き、事前に西郷吉之助と面会して、西郷に強烈な印象を与えた一件でした。
 鉄舟山岡鉄太郎という人物の一端を、西郷との会見と、生涯追求した剣から探ってみます。

 「三月五日。旗本山岡鉄太郎に逢う。一見その人となりに感ず。同人申す旨あり、益満生(薩摩藩士・益満休之助)を同伴して駿府へ行き、参謀西郷氏へ談ぜんと云う。われ是を良しとし、言上を経てその事を執らせしむ。西郷氏へ一書を奇す」

 これは『海舟日記』に勝海舟自身が記した、山岡鉄太郎との対面の様子です。勝の口ぶりからは初対面ともとれますが、かつて尊攘派の清河八郎らと同志であった鉄太郎を勝は快く思っておらず、きちんと向き合って話をしたのが、この時が初めてだったのかもしれません。
 そして勝は鉄太郎の様子に何事かを感じ、江戸無血開城に向けて最も困難かつ重要な役割である、西郷吉之助との事前交渉を、鉄太郎に託しました。すでに旧幕府軍が鳥羽伏見で新政府軍に敗れ、前将軍徳川慶喜が蟄居謹慎している慶応4年3月のことです。この時、鉄太郎は刀を友人から借りねばならないほど困窮していましたが、義兄・高橋泥舟の推挙もあって、勝海舟から大役を任されたのです。

 天保7年に江戸本所で旗本小野家に生まれた鉄太郎は、槍術家・山岡家の婿養子となり、山岡姓を名乗ります。北辰一刀流を学び、技量抜群であることから幕府講武所世話役となりますが、尊王攘夷を唱える清河八郎と親しくなり、清河が幕府の手で暗殺されると、鉄太郎も謹慎に処せられました。
 慶応4年、将軍の親衛隊ともいうべき精鋭隊歩兵頭格に任ぜられ、西郷との交渉に赴く鉄太郎は33歳。すでに剣の力量は知らぬ者はないほどでしたが、意外にもこの頃、鉄太郎は剣士として壁にぶつかっています。実は師匠に手も足も出なかったのです。

 師匠とは中西派一刀流の浅利又七郎義明。中西派4代子正の子で、浅利家に養子に入っていました。試合で浅利に敗れて弟子入りした鉄太郎でしたが、その後も浅利と道場で向き合うと、何の手出しもできずにじりじりと壁ぎわまで追い詰められ、最後にはそのまま道場の外まで後退して、ガラリと扉を閉められてしまうのが常でした。
 腕に覚えのある鉄太郎だけに、これは屈辱であったでしょうが、力量の差は歴然。忍心流槍術の達人である義兄・高橋泥舟の勧めで参禅し、何とか剣の道を究めたいと模索している最中に、鉄太郎は西郷との面会に出向くことになるのです。

 薩摩藩士・益満が同行するとはいえ、新政府軍が充満する東海道を静岡まで赴くのは、相当に危険であるのはいうまでもありません。ところが鉄太郎は、新政府軍陣営の前を通る時には必ず大声で、「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と名乗り、逆に新政府軍側はあっけにとられたといいます。
 無事に静岡に至り、参謀の西郷吉之助に面会した鉄太郎は、慶喜の意向を朝廷に取り次いでほしいと頼みます。西郷は条件として、5つの項目を提示しました。

その項目とは、
 一、江戸城を明け渡す
 一、城中の兵を向島に移す
 一、兵器をすべて差し出す
 一、軍艦をすべて引き渡す
 一、慶喜は備前藩にあずける

 これについて鉄太郎は、最後の一条、慶喜を備前藩に預けることだけは承服致しかねると拒みました。西郷が「これは朝命でごわす」と凄むと、鉄太郎は「ではもし慶喜の立場に島津公が置かれたとして、こうした命令を家臣が受けて、貴公は武士として承服できると申されるのか」と問い、驚いた西郷は心中、納得します。
 結果的に西郷は鉄太郎の人柄を信頼し、なるべく穏便に江戸開城が行なわれるようにと、気持ちを切り変えるのです。勝との談判の前に鉄太郎が果たした功績は、江戸無血開城を導く上で極めて大きかったといえるでしょう。

 「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬという人は始末に困る」とは、西郷が鉄太郎を評した言葉であるといわれます。西郷自身にも当てはまる言葉ですが、同じ気質であるだけに、西郷は鉄太郎から感じるものが大きかったのかもしれません。
 いわば鉄太郎と西郷の精神的な共鳴が、新政府の方針を変えさせたといっても過言ではなさそうです。それほどすべての執着を捨ててかかり、大役に臨んだ鉄太郎にして、しかしながら、いまだ剣の師・浅利に歯が立たないのはなぜなのか。非常に興味深いところです。

 鉄太郎の剣が変わるのは、明治13年3月30日の暁闇のことでした。翻然と悟った鉄太郎は、竹刀をとって師と向かい合い、その構えを見た瞬間に浅利は、一刀流正伝の印可を与えたといいます。時に鉄太郎45歳。
 あるいは心に重くのしかかっていた師の幻影を、幻影にすぎないことに気づいた瞬間であったのでしょうか。悟りの境地とは、その人にしか悟れないものであり、私などには想像もつきません。

 8年後、病を得て死期を悟った鉄太郎は、見舞いに駆けつけた勝海舟に向かって「積年の用事も済んだ。お先に御免つかまつる」と告げると、浴室で病身を清め、白衣に着替えて、結跏趺坐したまま息をひきとりました。享年53。
 無我の境地とはよくいいますが、それはおそらく理屈では答えの出るものではないのでしょう。鉄太郎ほどの人物でも、翻然と悟るまでには長い時間がかかりました。「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ」「とらわれをなくす」…すべてを捨てた時、はじめて得られるものがあるのかもしれません。



江戸無血開城を導いた山岡鉄舟の生きざま〔1〕/歴史街道編集部
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150723-00000001-php_r-bus_all

江戸無血開城を導いた山岡鉄舟の生きざま〔2〕/歴史街道編集部
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150723-00000002-php_r-bus_all

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 明治の仙人・河野至道寿人の許に入門し、仙道修練の法を伝習した門人は七十数名に上ったことが伝えられていますが、この山岡鉄舟大人も至道寿人の話を聞いた一人でした。
 さすがに鉄舟大人の現界における生き様も「仙」の位階を得るに相応しく、また『山岡鉄舟の武士道』の中で、その終わりについて勝海舟は次のように記されています。

「山岡死亡の際は、俺も見に行った。明治二十一年七月十九日のことで、非常に暑かった。俺が山岡の玄関まで行くと、息子・直記が見えたから『おやじはどうか』というと、直記が『いま死ぬるというております』と答えるから、俺がすぐ入ると、大勢人も集まっている。その真ん中に鉄舟が例の坐禅をなして、真っ白の着物に袈裟をかけて、神色自若と坐している。
 俺は座敷に立ちながら、『どうです。先生、ご臨終ですか』と問うと、鉄舟は少し目を開いて、にっこりとして、『さてさて、先生よくお出でくださった。ただいまが涅槃の境に進むところでござる』と、なんの苦もなく答えた。それで俺も言葉を返して、『よろしくご成仏あられよ』といって、その場を去った。
 少しく所用あってのち帰宅すると、家内の話に『山岡さんが死になさったとのご報知です』と言うので、『はあ、そうか』と別に驚くこともないから聞き流しておいた。
 その後、聞くところによると、俺が山岡に別れを告げて出ると死んだのだそうだ。そして鉄舟は死ぬ日より遥か前に自分の死期を予期して、間違わなかったそうだ。なお、また臨終には、白扇を手にして、南無阿弥陀仏を称えつつ、妻子、親類、満場に笑顔を見せて、妙然として現世の最後を遂げられたそうだ。絶命してなお、正座をなし、びくとも動かなかったそうだ」

(鉄舟大人は禅の道を修練されましたが、その根本玄理は導引法や胎息法と同じです。)



<参考>
神仙の存在について(5) -河野至道大人の尸解-(日本古学アカデミー)
http://www.nihonkogaku.com/content/report.cgi?co=167



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Author:紀瀬美香
古学(国学)・古神道研究家。
日本古学アカデミー代表。

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